-生死を分けた信仰の祈り-

愛知県H.Tさん

2016年3月8日、朝私は車で出勤していました。
途中で、財布を忘れた事に気が付いてその事に思いを巡らせて交差点に差し掛かった時、自転車に乗ったおばあちゃんが目の前に突然現れました。ブレーキを踏みましたが全く間に合わずガチャーンと言う音と共におばあちゃんがボンネットからフロントガラスへ乗り上げ、そのまま落ちていきました。
私はびっくりして、どうしようどうしよう。と車から外へ出ました。
地面に仰向けになったおばあちゃんがいて大きなイビキをかき、白目をむいていました。
私はおばあちゃん、ごめんなさい!と叫びながら抱き抱えました。その時びっくりするくらいの量の血が頭から流れでていたのです。
ヌルヌルしたあたたかい血が手の中で溢れでていて、もうダメだこの人は死ぬんだっと思いました。
おばあちゃんを抱き抱えながら、私は最悪の 気持ちで放心状態で震えていました。誰が救急車を呼んでくれていました。電話を渡され救急車の方と話をしている時も電話の向こう人にどうしよう、早く来てくださいと泣きながら話をしていたので、しっかり話して下さいと言われました。
私の手が震えていておばあちゃんの真っ青の顔も震えていました。 もう私の腕の中で死ぬんだと思っていたとき
突然、私は祈らなければ!という思いがきて、イエスの御名で血よ止まれから始まり、脳にダメージがあるなら全て正常になれと、次々に祈りが出てきました。今思い出そうとしてもどうやって祈ったのか思い出せませんが後に喉が痛かったので救急車が到着するまで凄く叫びながら祈ったんだと思います。
おばあちゃんを乗せた救急車が去った後、私の周りには凄い人だかりが出来ていて励ましてくださる方、血の付いた手を拭いてくださる方がいてとても有り難かったです。
後から現場に駆け付けてくれた母から聞いたのですが、必死で祈る私を見ていた人達は私が必死で介抱していたと感心していたそうです。

警察が来て、コンクリートについた大量の血痕、イビキ、目撃していた方からの話から、おばあちゃんは助からない可能性が高いので、亡くなったと想定した実況検証をします。と言われました。 私は度々襲ってくるもの凄い不安と逆にきっとおばあちゃんは大丈夫なんだという平安な気持ちと格闘しながら2時間余りの実況検証を終えました。

そのままおばあちゃんが運ばれた病院に行きました。
救急外来の受付の方に説明をしてご家族の方に会わせてほしいとお願いしました。
すると娘さんが出てこられたので私は力一杯頭を下げて謝りました。
すると、おばあちゃんが車椅子に乗って私にあいさつして来たのです。
怪我や脳のCTの結果を伺うと全く問題なく、3はりほど縫っただけで、今から精算して帰るとの事。
私はおばあちゃんが生きていてくれた事が嬉しくて嬉しくて思わずおばあちゃん、生きていてくれて、ありがとう!っと抱きしめました。

おばあちゃんをはじめ、旦那様、娘さんは優しい方達でお家へご挨拶に伺った時はお孫さんのブラスバンドのコンサートの写真を見せてくださったり、息子さんの世界一周されたお話を聞かせてくださり何時間もお邪魔させてもらいました。
私の事をとても好意的に見てくださり、これも縁だねとお茶する約束もしました。

全て神様が益にしてくれました。

あの時祈らなければ!とわなわなと震えている私がしっかりと祈る者となっていたのは、聖霊様がはたらいてくださったからだし、私はちゃんとイエス様の御名の力、権威、神から与えられた身分を知っていたからなんだと後で分かったのです。これらは聖書学校で学ばなければ知らなかった事です。
知って使うか知らずに使わないかでは天と地の差です。生きるか死ぬかの差でした。
あの時、祈らなければおばあちゃんは死んでいたんだと思います。

次回おばあちゃんに会いに行くときは、まだ少し痛いと言っている腰の癒しを祈って伝道もしたいと思っています。
こんな経験は2度としたくないですが、やっぱり神様はおられると確信しましたし、神様を体験すると本当に感動します。
しかも、神様はそれを見て一緒に感動してくださっている。
そんな神様に愛されていて、私は幸せです。
だから、神様のお手伝いをしたいと思うのは自然な事なんだと思いました。
全ての栄光を神様に♡