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人から言われた嫌な言葉とか、自分の過去の失敗やこれからの事についての恐れなどで頭が一杯になる事がありますよね。私は「自分の中に二人の自分がいる」ように感じてきました。聖書には悪魔、悪霊がいると書かれています。「そんな馬鹿な事を信じるのですか?」という声も聞こえそうですが確実にいます。イスカリオテのユダの事がヨハネ13章2節に「悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心にイエスを売ろうとする思いを入れていたが。」と書かれています。ユダの中に悪い思いを入れたのは悪魔でしたが、イエス様を裏切る行動を起こしたのはユダでした。これが悪魔の得意技です。ユダは「イエス様を売ろうとする思いを自分の思いである。」と勘違いして行動しました。ここは重要ですよ。
エバの場合はどうでしたか?悪魔がエバに「あなたがそれを食べる時、あなた方の目が開け、あなた方が神のようになり、善悪を知るようになるのです。」と言うと「そのようになりたい」と思って食べて、アダムにも食べさせたのは誰でしたか?エバでしたね。このように悪魔はいつも、私達の中に色々な思いを持って来ます。私の心にも色々な悪い思いがやって来た時、以前の私は「何という事を考えるのだろう。私は何という罪人だろう」と悩んでいましたが、最近では「悪魔黙れ。」「馬鹿。出ていけ。」「うるさい。」「やかましい」と言っているだけです。それが悪魔、悪霊から来ているという事を知っているからです。真面目な人ほどこれにやられて精神的に圧迫を受けて心療内科に行く事もあると思います。
以前の私は、悪魔が持ってきた悪い思いについても「主よ。赦して下さい。」と祈っていましたが、これが分かってからは悪魔、悪霊に、私の頭の中を支配させません。若い時には罪意識も強かったので、悪魔は色々な失敗を持って来たり、祈りが聞かれなかった事もありました。ヨハネ9章31節に「神は罪人の祈りはお聞きになりません。」と書かれています。これは本当の罪だけではないのでややこしいんですね。罪意識も立派な罪になるんですよ。これにシッカリやられたのがヨブさんでした。ヨブさんはとってもいい人だったのにヨブ3章25節に「私の最も恐れたものが、私を襲い、私の怯えた者が私の身に降りかかったからだ。」と書かれています。ヨブはいつも恐れていました。ですから悪魔に機会を与えてやられてしまったのです。Ⅰヨハネ4章18には「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。何故なら、恐れには刑罰が伴っているからです。と書かれていますが詳訳聖書には「恐れには刑罰という思想が伴う。」と書かれています。恐れが来るという事は律法的になっているという事です。ローマ3章20節には「律法によっては却って罪の意識が生じるのです。」と書かれています。ホセア4章6節に「我が民は知識がないので滅ぼされる」と書かれているいる通りです。長くなってしまいましたので、この続きは次回にします。
では。また次回をお楽しみに。
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