皆さん、お元気ですか?私は、毎日忙しくしていましたのでかなり久しぶりの投稿です。その分中身の濃いお話しをしたいと思います。私達も含めてですが、大多数の方達が、今迄、教会で教えられてきた事は「主は素晴らしい」「主は全能のお方」「主は崇むべきお方」「主は愛なるお方」というような「神に対する信仰」を教えられてきたのです。私も、宣教師の先生から教えられる迄は、子供の頃から25歳位まで「神に対する信仰」を教えられてきました。これはとても大切な事なのですが、ヘブル6章1節には「ですから、私達は、キリストについての初歩の教えを後にして、成熟を目指して進もうではありませんか。死んだ行いからの回心、神に対する信仰、清めの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえの裁きなど基礎的な事を再びやり直したりしないようにしましょう。」と書かれています。ここに書かれている事は「神に対する信仰」は初歩であり、基礎的な教えであり、成熟を目指して進むべきである。」と書かれているのです。
では、「初歩の教えである神に対する信仰」からどこに進めばよいのでしょうか?その答えは「神の持っているような信仰に進むべきである」という事です。その証拠にエペソ5章1節には「ですから、神に愛されていする者らしく、神に倣う者になりなさい。」と書かれています。この神はどなたでしょうか?勿論、イエス様です。父なる神様も聖霊様も目に見る事が出来ません。イエス様だけが、私達の目に見える姿で現れて下さった神様です。イエス様は人の形をとられましたが、三位一体の神様の1つの働きです。時々「主よ。この方の病を癒して下さい」「主よ。悪霊を追い出して下さい。」という祈りを聞く事があります。その祈りを否定するつもりはありませんが、それは「神に対する信仰の祈り方」です。「神の持っているような信仰」の祈りは「病よ。イエスの御名によって、この人から出ていけ」また「悪霊達よ。イエスの御名によってこの人から出ていけ」と命じる祈りをします。イエスの御名の前には「天にあるもの」「地にあるもの」「地の下にあるもの」全てが膝を屈めなければならないのです。そして、そのイエスの御名は、クリスチャンの所有なのです。み使い達も、悪魔、悪霊達も、ノンクリスチャンもイエスの御名を使う事は出来ません。そしてイエス様は、ご本人ですから「イエスの御名」で祈る必要はありません。この「イエスの御名」は、私達クリスチャン専用なのです。
しかし、もし、これらの真理を知らなければ、たとえ「イエスの御名」が私達の専用であっても、正しく使う事が出来ないのです。「知らない」という事は「持っていない」事と同じなのです。私達クリスチヤンが、主が望んでおられるような働きをする事が出来るようになるには「主から頂いた、私達の本当の身分と権威」を知る必要があります。これらを 知り始めると「神の力を解き放つ領域」「神の力を体験する領域}に入って行きます。これらを説明すると長くなりますので、この続きは次回にしたいと思います。お楽しみに。
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